購読紙を朝日新聞から読売新聞に変えた。犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」みたいなのを紙面でみるたびにウンザリしていたし、凄十をはじめとする家庭に配布される新聞にふさわしくない広告が紙面を埋めているし、理由はいくらでもあげられるが、ひと言でいえば「面白くない」からである。記事の切り口にうなずくことよりも首をかしげることが増えた。読売に変えたからと言って万事解決するわけではないが(こちらでも凄十は元気だ)、まあとにかく変えてみようと思ったのである。
私は朝日新聞を配達していたことがある。もう20年近く前のことだ。楽しい仲間に囲まれ、諸先輩方には色んな飲み屋に連れて行ってもらい(ランパブに連れて行ってくれたTさんお元気ですか)、人生についてさまざまなことを学んだ(主にランパブについて)。だからというか、特に疑問を持つこともなく、私は朝日新聞を購読してきた。今回購読紙を変え、「きっとしばらくは読売の紙面に慣れないから読みにくいだろうな」と思っていたのだが、読み始めてみると特に違和感なく読める。フォントや全体の色遣いやレイアウトはずいぶん違うが、新聞はどうこういっても中身なのだ。うむ。
そういえば週刊アスキーも買うのをやめてしまった。毎週欠かさず購入していたのだが、楽しみにしていた神足さんのコラムがなくなり、そのころから紙面が少しずつ変わり、だんだん読むところがなくなってきた。しばらくは購入を続けていたが、パラパラめくってろくに読まずに捨てることが多いのに気づき、その次の週から購入していない。
習慣化し、本人はそれがないと困ると思い込んでいても、なくなってみるとどうにでもなること、というのはけっこうあるものである。さて、次は何だ。