国字「笹」の読み方

Pocket

京王線に笹塚という駅があります。中華圏の方とこの駅のことを話そうとすると、「笹」って中国語でどう発音するんだろう、という問題にぶつかります。「笹」は国字ですので中日辞典などに収載されていないのです。

翻訳やチェックの仕事をしていても、ナレーションで日本の地名や会社名を扱う時など発音が問題になることがあり、「どうしてこのように発音するのか」について何かしらのよりどころが必要になります。クライアントから質問を受けた際、根拠を示すことができなければマズいのであります。

こういう場合、中国の教育部(文科省に相当)に日本汉字的汉语读音规范(草案)という文書がありますので、この中で定められているルールに従っておけば、「こちらの文書に従っています」とクライアントやエージェントに回答することができます。

では、実際のルールを見てみましょう。上記文書の5.1と5.2を抜き出します。

5.1 凡可视为形声或会意兼形声的,取“声旁”读音:如“畑”取tián(田)音,“辻”取shí(十)音,“込”取rù(入)音,“鴫”取tián(田)音。

5.2 凡不属或不能按形声或会意兼形声拟音的,取形似字或形似声旁的读音,如“麿”取形似字“磨”的字音mó;“峠”,右边“声旁”跟“卡”形似,取kǎ音。

日本汉字的汉语读音规范

5.1では、およそ形声または会意形声と見なせる場合、音符(形声文字の表音部分)を取って読む。たとえば「畑」は「田」の音を取り、「辻」は「十」の音を取り、「込」は「入」の音を取り、「鴫」は「田」の音を取る、とされています。

そして5.2では、会意または会意形声でない場合や会意や会意形声で音を比定できない場合は、形の似た字または音符に似た字の読みを取る。たとえば「麿」は形の似た「磨」の音を取り、「峠」は右側の音符と「」の形が似ており、の音を取る、とされています。

1つめのルールは納得できますが、2つめのルールはわりと大雑把ですね。似てる、似てないというのは、主観に大きく左右される気がするのですが良いのでしょうか。

疑問はひとまず横に置いて、「笹」の問題に戻りますが、上記のルールを適用すれば、「笹」は世の音を取ってshìと発音することになります。疑問の余地はなく、問題はめでたく解決です。

これにて一件落着、さあ次の仕事に取りかかろう、と言いたいところですが、「笹」にはひとつ問題があります。漢典の“笹”字的基本解释を見ると、「同“屉”」(に同じ)と書かれているのです。となるとと発音する可能性も出てきます。実際ネットを検索すると、こうした辞書の記述から「笹」はと読む、としているサイトが複数見つかります。

うーん、でもちょっとひっかかります。「」は「抽屉(引き出し)」という単語に使われるように「器物中可以拿出的盛放物体的部分(器物の中の物体をしまう取り出し可能な部分)」という意味を持つ漢字であり、丈の低いタケ類を指す「笹」と同じ、というのはかなり無理があるように思います。この「同“屉”」という主張の根拠はどこにあるのでしょう。

こういうときよくお世話になる台湾教育部の異體字字典でと繁体字のを検索してみます。すると「笹」の字はまったく登場しません。あやしい。

和製漢字の小辞典を見てみましょう。36番に笹の解説があります。

笹原宏之著『「佚存文字」に関する考察』に、「世の異体字として周代の金文にあるが偶然字体が一致したにすぎず佚存文字ではない」とある。『異體字辨』・『和字正俗通』・『國字考』に「サヽ」、『同文通考』に「サヽ 小竹也」、『俗書正譌』に「さゝ 和製と見えて字書になし」、『漢字要覧』に「笹ノ字ハ、葉ノ字ヲ[笹*木]ト書セシヨリ、ソノ下ノ木ヲ省キテ、ささノ義トナシタルモノ」、『漢字の研究』(我國にて制作したる漢字)に「ササ」とある。『中華字海』には「同屉。1見日本《常用漢字表》」とある。『中華字海』・『漢字要覧』の注文からすると、「世」の異体字と「葉」の和製異体字の別字衝突ということになる。
日本語を読むための漢字辞典 和製漢字の小辞典

犯人発見。中華字海に書いてあるのですね。しかも日本の『常用漢字表』を見よって、いつのどの常用漢字表か知りませんが、あの表を見て何が分かるというのでしょう。だいたい、現在の常用漢字表(平成22年内閣告示第2号)には「笹」は含まれていなくて、人名用漢字とされています。中華字海については、Wikipediaで詳しく紹介されていて、わざわざ「日本や大韓民国の国字をも収録している。ただし、これらの字については読みはなく、説明も不正確となっている」とあることから判断のよりどころにはしない方が良さそうです。結論、中華字海の意見は却下。

以上から「笹」の発音はshìと判断いたしました。ふう、長い道のりでした。

  1. この部分のみタケウチが記述を変更しました。 []

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください